上行寺東遺跡〔Ⅱ〕 

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遺跡から上行寺を望む。

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境内のやぐら。

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時の経過で表面が風化してしまっている。

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こんな立派な宝塔は滅多にお目にかかれないめずらしいものです。
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次回:陶芸展、お礼
[2016/11/12 07:54] 遺跡 | コメント(-)

上行寺東遺跡〔Ⅰ〕 

地域史研究会の仲間との散策です。

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手前は建物の跡、奥に見える穴は櫓(お墓)の跡。実際の場所はず~っと奥の方にあったがマンションの工事で手前の今の場所に
復元されている。その方法は実際の場所の地面の表面に特殊な樹脂の膜を張り、乾いてからそっくり剥がして、今の場所に予め
形に沿って掘られた穴にそれを被せて造られている。だからこの上を歩くと、ボコボコ音がする。まあそれでも完全に埋め戻して
跡形もなくなるよりはずっといい。

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続く:Ⅱへ

[2016/11/09 07:30] 遺跡 | コメント(-)

深田製鉄遺跡 

栄地域史研究会(旧 栄郷土史研究会)の中の‘製鉄部会’(5名)としての調査・研究も3年目に入り、来春、結果発表する予定。タイトルのテーマに関し古い資料、伝承、砂鉄採取作業、鶴見川流域の製鉄情報、横浜市埋蔵文化センターの協力などを得、現在まとめつつあります。上郷深田遺跡から出た製鉄跡から鉄の材料となる砂鉄はどこから持って来たの

か、どのように鉄づくりを行ったのか、どのように利用されたのか、どのような人が従事していたたのか…などについて調査探訪し議論を重ねてきました。今日(8/20)はこれに大いにかかわったのではないかと推察される鎌倉の染谷太夫時忠周辺の史跡を探訪してきました。兎に角、暑かったです。

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左:染谷太夫の敷地後に建つ石碑。関東(坂東八か国)の總追捕使(ついぶし)。警察・軍事的官職。坂上田村麻呂の東北蝦夷征伐に加わったものと僕たちは考えています。当然、武器(鉄)が要る。上郷地帯は染谷太夫の支配管轄下にある。製鉄づくりにも大いに拘わったと考えています。
右:鎌倉甘縄神明社は鎌倉で最も古い神社で染谷太夫の開基と伝えられている。近くの長谷寺などは大勢の人でにぎわっていますが、ここはほとんど人影がありません。だから余計に神秘的です。屋根の形も由緒ある出雲大社に似た趣。

「殿方のロマンを追求する姿勢には頭がさがります。暑い中ご苦労様です。っていうかもう少し涼しくなってからでも良かったのでは??」/ Sさん。

…コメントありがとうございます。誰も正解を知らないことなので面白いのです。僕達が新説を打ち出すつもりで
やっております。

「濃密な生活ですね!」/ Sさん。…そんな~とんでもない!何となく惰性で行ってますよ。

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続く:
[2014/09/05 07:30] 遺跡 | コメント(-)

縄文の貴公子 

人面把手-1

(県歴史博物館で開催されている‘勝坂(かっさか)縄文展’に行ってきました。‘勝坂’とは相模原市
 にある有名な遺跡のある地名。縄文時代はざくっと5000年前)

(土器を表す型式はその特徴を持った土器が見つかった最初の遺跡の名前が付けられます。そういう
 意味で勝坂式土器を集めた縄文展、‘勝坂縄文展’なのです。範囲は神奈川を含む西関東、甲府盆
 地から諏訪、静岡東部まで分布している。今回は地元栄区から出たものを紹介します)

(これはそこに展示されている全国的にも有名な‘人面把手(とって)’。実は私の家の近く、公田町
 発掘されたものです。数年前に出土したところ/畑へ行ってみたのですが、たまたまそこにおられた
 おばさんと話をしていたら「実はそれは私が見つけたものです。畑を掘っていたら‘カチン’という

 音がしたので掘り起こしてみると出てきたのです」…とのこと。栄区の‘お宝’です。通称‘縄文の
 貴公子’。高さ18cm。頭を表現したものとしては日本で最大級のものです。いい顔してるでしょ?
 耳の穴はピアス?首にもペンダントのような飾りが見える。縄文の若者は相当にオシャレ?)

 ‘把手’と云われていますが本体が見つかっていないので完全にそうかどうかはわからない面もある
 と個人的には思います。しかしそれはさておきロマン満点ですね。少し陶芸もやりますので今度、こ
 れを作ってみようかと考えています。出来たら比較してUPしましょう。

人面把手左横顔人面把手右横顔

(左:左側の顔    右:右側の顔)
(左右の穴はピアスじゃなくて髪型即ち髪を左右に束ねカールさせているとも思えます。ピアス
 にしては少し大きすぎる…)
(しかし首の下が円形になっていてしかも空洞。これをどうやって土器の縁に付けたのだろう?
 またその土器はどんな形・構造になっていたのだろう?)→ 答え

人面把手下からDSCF7048_20130203221042.jpg

(左:下から、右:貴公子のお父さん / 狩りで獲った猪の皮で正装。土器は勝坂遺跡から出た大型土器/本物)

人面把手後ろから人面把手上から

(左:後から   右:上から)

土器の人面把手人面把手付土器-1

(人面把手付きの土器の例)

私見:
①これは把手ではなく土偶の類ではないか。余りにも大きすぎる。この大きさに見合う土器は多分
 1m以上のものであろう。(把手付きの土器である証拠は何もないのである)
②顔の点状の印は刺青ではないか?そのような風習が有っても不思議ではない。

次回:2/11 人生花づくし
[2013/02/06 08:00] 遺跡 | コメント(-)