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旧・東海道 保土ヶ谷宿を歩く〔Ⅰ〕

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4/19(日)戸塚歴史の会散策。相鉄:天王町駅10時出発、大仙寺15時解散。JR保土ヶ谷駅から帰途。13000歩。約10キロ。
散策の記録です。(見て面白いことはありません)   地図クリックで拡大。

コース:
保土ヶ谷歴史散策150419(1)

保土ヶ谷歴史散策(2)150419

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②(地図上の番号)たちばな神社:頼朝の天下平定を祝い鎌倉初期に創建。右は横浜で一番古いと言われる庚申塔。

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③江戸方見附…旧東海道の江戸側の出入口に作られ、土盛りをした土塁に竹矢来を組んだ簡易防御施設。
各写真クリックで拡大。

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⑥ 横浜ビジネスパーク:昭和60年までビール、硝子、紡績会社などがあったがその後転居し跡地は野村不動産によっ
  て開発された。広大な敷地にはビルが立ち並び多くの企業やお店が入っている。敷地にはご覧のような動物のモ
  ニュメントが配置されている。動物の森に見立てているのでしょうか、面白いですよね。

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これ、マンモス~?

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ここの左の方のベンチで昼食。コンビニおにぎり2ケ+サンドイッチ…散策にはこれ位が丁度いい。

次回:5/2 歌の発表会(歌姫 Kさんの独唱:蝶々夫人から「ある晴れた日に」他)
次々回:旧・東海道 保土ヶ谷宿を歩く〔Ⅱ〕
[ 2015/04/30 07:30 ] 史跡 | TB(-) | CM(-)

芭蕉の館

栃木県大田原市。

黒羽芭蕉の館・大田原市

「行く秋ぞ 友と尋ぬる 黒羽里」/ 馬笑(僕の俳号)

名前がピッタリ・・・変えたのかしら?harryより。馬鹿笑のほうがぴったりだと思うけれど…失礼しました。
またわけが分からないこと言ってしまいました
 / Tさん。

…いえいえ、どういたしまして、Tさんにピッタリですよ。

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栃木県大田原市(旧黒羽町)にあった戦国時代の山城(やまじろ、くろばね城)。同市指定史跡。那須氏
の支族、大関氏の居城。那珂川と松葉川にはさまれた約30mの段丘の上にあった連郭式の城である。
松尾芭蕉がこの地に暫く逗留した。

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次回:11/24 京都の秋〔Ⅰ〕…神護寺、すばらしい紅葉でした。
[ 2014/11/22 07:30 ] 史跡 | TB(-) | CM(-)

東海道・旧 川崎宿を歩く

旧川崎宿マップ1
旧川崎宿マップ

9/21 戸塚歴史の会の散策。京急 八丁畷10時スタート、14時半 六郷の渡し跡で解散。16000歩。
川崎は軍需工場の街であったため東京大空襲で狙い撃ちにされ史跡としては全くと言っていいほ
ど残っていない。ただその場所に史跡のあった説明看板が建てられているだけ。そういう意味では
余りぴんと来る散策ではなかった。それでも、なるほど、ここにそういうものが有ったのか~という感
慨には浸ることはできました。

八丁畷、無縁塚、芭蕉の句碑、芭蕉ポケットパーク、亰口棒鼻口、教安寺、小土呂橋跡、佐藤本陣跡、
妙遠寺、稲毛神社、中本陣跡、問屋場跡、砂子の里資料館、宋三寺、かわさき宿交流館、一行寺、
助郷会所跡、田中本陣跡、川崎稲荷社、万年屋跡、大師電気鉄道六郷橋停留所跡、旧大師道入口、
明治天皇渡御碑、六郷の渡し跡。

八丁畷(はっちょうなわて)…の由来。川崎~鶴見間は低湿地帯で冠水を避けるため土盛りをして
周囲から一段と高くされていた。駅から南は田畑でその中をまっすぐ長い畷状に東海道が八丁に
渡って続いていたのでそう呼ばれるようになった。

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他の写真は省略。

「私は鶴見総持寺の山門近くに住んでおりました。京急電車駅は駅の名前が本当に歴史がたくさんあり 八丁畷駅とても懐かしく感じました。機会があったら私も歩いてみたいです~。東海道宿の街ですものね・・hrryさん宿をスッケチしてね・・因みに戸塚宿を版画で彫たことがありましったけ、?夢はどんどん膨らみますね 又神様がご褒美をくださいますね」/たむちゃん

次回:10/25 写真展
[ 2014/10/24 07:30 ] 史跡 | TB(-) | CM(-)

丹後山伝説を訪ねて〔Ⅱ〕

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「丹後山伝説」
源頼朝の寵愛を受けた愛妾、20歳ばかりの美しい娘丹後の局が妊娠し身重にになった。頼朝の夫人、政子はこの
娘を鎌倉から追い出してしまった。途方にくれたある日、上矢部まで来た時、日はとっぷりと暮れ民家に一宿を請
うたが相手にされず仕方なく近くの小屋を見つけ休むことにした。折あしくそこで急に産気ずき闇夜に困り果て

ていると、狐火がともりあたりが明るくなり男子を無事出産。誰も住んでいない筈の小屋から赤子の泣き声がす
るので近所の人が訪ねてみると昨夜の娘であった。聴いてみると頼朝の愛妾、丹後の局であるという。土地の
人々は驚き家を建てて女を住まわせ、頼朝に報告した。この時、家を建てたところがこの丹後山(神明社)で、男

子は成長して島津三郎となり九州の守護職になった。これが島津家初代当主、島津忠久である。また丹後の局は
比企一族の娘
である。(比企一族の墓は鎌倉、妙法寺にある)25代当主島津重久は権威付けのためにこのことを
引用し頼朝との縁を吹聴したという記録が残っている。何の権威もない田舎大名には権威・名誉が必要だったので
あろう。(幕末、生麦事件行列の主、薩摩藩国父、島津久光も島津三郎を名乗っていた)

島津三郎(忠久)が頼朝の落胤であるかどうかについては、島津家の文書では、そう記述されているようだが、
世の歴史家にあっては疑問視する向きが少なくない。果たして真実やいかに?

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左:篠塚八幡    右:冨士山古墳、6世紀頃の円墳。周りに柵が施され中には入れない。円筒埴輪、馬系埴輪、鳥型埴輪、人型埴輪などが多数出土。市歴博で展示。

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松尾神社/ 地元では田中神社と呼んでいる。何故かわからないが、多分、田んぼの中にあったからか? 江戸時代には大山詣での大山道に近いので大いに賑わったとか~。

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次回:5/15 第4回 矢沢男声合唱団発表会のお知らせ
[ 2014/05/12 17:34 ] 史跡 | TB(-) | CM(-)