終の棲家 

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さわやかな風あり、鳥の声あり、蝶、とんぼも遊ぶ、心やすらぐ静かなところです。
(場所は左端下方。右端は霊園管理事務所)

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左:京急三浦海岸からの送迎バス停
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三浦海岸を見下ろす高台の霊園にある‘終の棲家’。定年と同時に購入。今日は半年に1回の墓参
り。両親(神戸から分骨)を含めた3名が眠っています。一心に雑草を抜きながら鶯の声に聴き惚れる。

「うぐいすの 掛声聴きつ 草むしる」

後10年余りでここの住人になるだろう。考えると何だか妙な気持ち。10年はあっという間じゃないか。これからどう過ごしたらいいか。「このまま惰性でダラダラと」?、「人に優しく、自分に忠実」?まあそれはともかく、せっせときれいにしておきましょう。今日初めて除草剤を撒いてみました。次回、効果の程は?

「素敵な場所で、落ち着けるなんて幸せですね」/ Mさん。
…ありがとうございます。しかし正直言って、死んでしまえばどこでも同じでしょう。散骨でもいいし~。
‘素敵な場所’は墓参りの人用です。

ところでお墓詣りの時間は何時頃がいいか?午前中がいいとか言うけど…、何で?夕方以降は霊(浮遊霊、地縛霊、守護霊…)が飛び交っているので乗り移られる(憑依)~なんて云う人も。ワイフなどはこう云う。僕はほとんど信じないが‘霊’については多分に興味はある。。しかしこういう広い明るい公園墓地ならいいけど、月明かりの薄暗いじめじめした

お墓では確かに一寸気味が悪い。怖くて入って行けない。…ということは「ひょっとしたら?」という一抹の信じる部分があるのかもしれない。魂は位牌に宿る。骨壺は単に物理的なもの…と仏教では言われる。ならばお墓には霊など存在しない筈。西洋には位牌はない。もし死んでも魂は存在するとすればどこに宿るのか?日本の霊は宿るが西洋のは宿ら無い?これまたおかしな話…この種の説明は確かなものはなく、宗教によって都合の良いように説明されているように思う。


お墓談義もそろそろ終わりです。最後にあなたの霊感度を診断してみましょう。(お遊び)
僕の霊感度は30でした。→‘霊感度診断

  次回:6/10 最近の陶芸作品
次々回:最近の絵画作品

[2014/06/05 17:00] 石造物 | コメント(-)

戸塚~東戸塚の古道を訪ねる 

JR戸塚駅を10時に出発して東戸塚駅15時半、約15キロを歩いてきました。‘戸塚歴史の会’の散策です。旧東海道、淡島道、
星野谷道、二俣川道、奥州道など。東海道以外は余りなじみのない名前でしょう?皆さん、余り興味はないかもしれませんが
一応解説しておきます。(地図参照)

・淡島みち…大善寺(写真掲載)にある‘淡島明神’に詣でる道
・星野谷みち…座間の星谷寺観音に詣でる道
(昔は今と違って地域信仰が盛んでした。娯楽が少なく一種の旅行気分もあったのでしょう)

・二俣川みち…交易、助郷(すけごう:役所からの荷役仕事の義務)など日常的に使われていたみち

・奥州みち…鎌倉時代、御家人(武士)達が領地と鎌倉間を馬で行き来に使ったみち、洪水などにさらされない比較的
高い尾根伝いにつくられている。奥州から武蔵の国経由、名瀬・川上・舞岡を通って鎌倉に至る。地図で‘そとごう遺跡
(弥生時代、ここらに大集落があったそうです。‘三殿台遺跡’、‘大塚歳勝土遺跡’などとは違い出土品を保管した後、

住宅地になってしまいました)の下に‘奥州みち終点’とメモ書きしていますが、ここが東海道からの分岐出発点。
ず~っと上へ行って戸塚カントリーの中を通り奥州へ至る道があった。現在は戸塚カントリーのところで行き止り。
地図で見ると複数の道が重なって表示されていますがこれは途中までは同じ道で、先でそれぞれに分かれていくのです。

前半は石碑、お寺(大善寺)、庚申搭などの写真数枚撮りましたが後半は‘みち’だけなので撮っておりません。昔‘古道’
とは言っても今は舗装された車の行きかう何の変哲もない現代の道路がほとんどです。
221528戸塚散策
今の環状2号、鎌倉街道なども200年後にはこうやって‘古道散策’が行われているかもしれませんね。
221528戸塚淡島大明神碑
(淡島大明神の碑…大善寺裏にある‘粟島さま’への道標。
 柏尾川大橋を入った左沿いにある)
221528戸塚‘石神’碑
(石神…‘しゃくじん’と読む。豊作・安産・病除けの土俗信仰。治ったら
おしゃもじを奉納した。東京の石神井なども同じ由来。形のそれらしい自然
の石を信仰するいわゆる‘石神信仰’。何でも信仰しちゃうんですね~)
221528戸塚大善寺
(大善寺…和歌山の加太神社の神座を背負い行脚していたお坊さんが病気になりここへ神座を預けたのがここ大善寺
に祀られている‘淡島社’(淡島様と呼ばれた)の由来)
221528戸塚大善寺にて
(大善寺の花桃)
221528戸塚大善寺にて
(歌舞伎道祖神…寛政6年。云われは不明。横浜新道料金所の横)
戸塚歌舞伎道祖神説明板
221528戸塚歌舞伎道祖神
221528戸塚小坂石造物
(小坂の石造物群の一つ、‘二十三夜塔’、道標を兼ねる。
右面:‘北二又川みち’、左面:‘南とつか道’とある。
二十三夜のほの暗い夜、ご婦人たちが集まって酒宴を張っ
たとのこと。いつの時代も女性は強い!)
…以上で地味な話は終わり。
次回:‘作品S’…ステンドグラス
次々回:猿島風景
[2011/05/23 08:00] 石造物 | コメント(-)

地域史跡めぐり(2) 

7/29の(1)の続き。今回も余り興味がわかない
テーマに付きご勘弁。2~3日の辛抱。
100716小菅ヶ谷散策
(小菅ヶ谷の名主、梅沢家の墓地入口を守る地蔵尊、光のスポットライトを浴び一寸いい感じでした)
100716小菅ヶ谷散策
(同じく、石仏群…手入れがされてなく草ぼうぼう。一寸淋しいね。)
100716小菅ヶ谷散策
(享保10年頃の木曽石仏、力石など…工事により元の場所からここへ集められたもの。
 こういう小さな石仏は元の場所が中々わからなくなってきているのが実情)
(力石で昔、近所の男達が力自慢を競い合った)
100716小菅ヶ谷散策
(‘いぼとり地蔵’…昔、いぼができると石を借りてきて治ると石を倍にして
  返したと伝えられている。横浜市で最も古い地蔵と言われている)
(次回は‘等々力渓谷(2)’)
[2010/08/07 23:00] 石造物 | CM(0)

地域史跡めぐり(1) 

横浜市栄区小菅ヶ谷の史跡を訪ねて来ました。石仏だの古墳跡だの皆さんには多分興味のない
写真・内容ばかりだと思います。適当にすっ飛ばして下さい。(10年来の地元の歴史を勉強する
‘地域史研究会’の活動イベントです)
100716小菅ヶ谷散策
(‘往古横死諸霊塔’といい昔この辺りで行き倒れで亡くなった人達の供養塔。この辺りは
宿場外れの寂しいところで無念の思いで死んで行ったことでしょう。供養する人たちがいた
ということは何よりの救いです)
100716小菅ヶ谷散策
(数年前まではこのような横穴が小高い山に沢山有りました。今は宅地開発で少なくなりこの
ように向こう側が貫通されてしまった状態のものが残っています。有力な地位の人たちの
お墓です)
100716小菅ヶ谷散策
100716小菅ヶ谷散策
(暑い炎天下、途中いたち川に出たところで出会った白鷺君。一服の清涼剤です)
(次回…‘竜馬暗殺考(2)’)
[2010/07/29 08:00] 石造物 | CM(0)