(地面より二段下がったところが当時の表面/後世への保存のため全地域、1mほどかさ上げしてあります)
(向うに見える丸いところが住居、そこにつながっている二本の側溝みたいなものは実は専門家でもよく
分からないのです。貯蔵庫か、もしそうだとしたら何故二つに分ける必要があるのか、屋根はどうして
いたのか?ゆるやかですが傾斜がついていますね。…ということは何かの移動を動きやすくする為か、
炊事や身体をふくために雨水を取り入れたのか?わからないね。皆さん、何だと思いますか?)
(環壕と外柵…敵の侵入を防ぐため、ただ‘外柵’があったかどうかは不明。証拠がない)
(続く…もう1枚。「考古学者Harry」の住居設計図/暇だねえ、物好きだねえ)
(雨水の侵入防止のため周りに壁を造った筈。その土はやはり住居をいくらか掘り下げて捻出するしか
ない。周りの壁の厚さ・高さとも50cm、住居の直径を5mと仮定して周りの壁の土の量を捻出するには
いくら掘ったらいいかを試算すると約20cmとなった。実際には壁を踏み固めなきゃいけないから恐ら
く倍位(40cm)にはなるだろう。従って住居の中から見ると壁の高さは約90cm~1mとなる。当然、住居
に入る踏み板や降りる階段がいる。住居が大きくなると深さも深くなり階段の段数も増える)(まあ
こんな馬鹿な‘お遊び’をやってみました)
今日は
‘葉山古道’(安針塚~塚山公園~上山口の棚田~葉山大道~森戸海岸~逗子)を歩いてきまし
た。途中、ミモザ、緋寒桜、モクレン、河津桜、きぶしなどが出迎えてくれて里山のいい雰囲気を味
わうことができました。棚田の近くにあるおそば屋さん、すごくおいしかったです。こしがあって。
それから少し歩いたところに、手作りの生どら焼と洋酒の入ったチョコレート屋さん、特にチョコが
おいしかったです。大人の味。
(不動滝付近、河津桜)
「草の芽や 風によろこぶ 葉山みち」(馬笑)
次回:4/1 合唱に恋して今が青春…??/みなとみらいホールで歌ってきました。
- 2012/03/31(土) 08:59:53|
- 遺跡
-
-
遺跡発掘に携わった学芸員の講演に行ってきました。ここは何回も行っていますが専門家の話を聞くのは
初めてです。暫くの間、古のノスタルジアに浸って下さい。
ここは1979年からの港北ニュータウンの造成で発見された
大規模な遺跡です。早渕川流域に沿って形成
され標高50mに位置しています。農耕の痕跡、出土品の形、土器に残っている米粒の痕跡、住居跡の形、
地層などから約2000年前の‘弥生時代’の遺跡と判定されています。因みに何故、弥生時代という名前が
ついているかは農耕跡が最初に発見された東京本郷の弥生地区で発掘された遺跡から命名されました。
発掘の手法など詳細は割愛しますが1点だけ。皆さん、時々展示会などで‘縄文(式)土器’、‘弥生式
土器’などの名前を見ることがあると思います。縄文土器には‘縄目模様’がついているものが多いで
(たそがれの穀物倉庫…これは地面にあいた8ケの穴から穀物倉庫であろうと推定されました。
また倉庫の形は静岡の登呂の遺跡のデータを参考に作られたようです)(手前は‘引きうす’)
すが縄文時代の土器だから必ず‘縄目’がついているとは限らないのです。また弥生式土器だから‘縄目
’はないとも限らないのです。縄目は要は‘装飾’ですから土器を作る人のセンスの問題でしょう。多分
流行みたいなもので縄文時代には多くの製作者に‘縄目’をつけることが取り入れられたものと思われま
す。土器の模様から時代を判定するのではなく、遺跡全体をいろいろな角度から分析して‘時代’を特定
し、そこから出土した土器はその時代の土器、即ち‘縄文土器’とか‘弥生土器’とかに特定される訳です。
余り長くなってもなんですからそろそろやめますが、最後に縄文か弥生かの決め手は‘農耕’が行われて
いたかどうかということです。農耕が定着したのは弥生時代からとされているからです。遺跡の見学は17
時までですので講演終了の前に急いで現地に行き再度、写真を撮ってきました。今日の写真の狙いは夕
日をバックに穀物倉庫をシルエット的に撮るのが目的です。
後日、以前UPした記事を掲載します。→
この記事の右下にある‘遺跡’のところをクリックすると
出てきます。ご覧ください。
(2)へ続く…
- 2012/03/28(水) 08:00:00|
- 遺跡
-
-
(元あった大イチョウのところから新しい樹が出てきました)
(元あった場所のすぐ西側に移された八幡宮の大イチョウ…強い生命力で枝が出てきています。しかし
元の姿になるのは後、何百年?。右は元の場所にあった時の黄葉/合成)
(以前の写真…引用)
次回:3/28大塚遺跡…弥生時代の住居遺跡、古代ロマンの世界へご一緒に参りましょう。
次々回:4/1‘合唱に恋して今が青春’…横浜みなとみらいホールで歌ってきました。
この‘青春’の歌声を聴いて下さい。(写真は見ない方がよい)
- 2012/03/27(火) 09:32:00|
- 寺院・神社
-
-
…ここは鎌倉でも梶原の‘泣塔’などと共に最強の‘霊感スポット’になっています。北条一族870余名
がここで自害。高時も最後に切腹。寺は炎上。戦国武将の浮遊霊が一杯さまよっていそうでなんとなく気
味が悪い~。霊感の強い人はここを通るだけで寒気がして避けて通るそうです。
(東勝寺跡…この広い一角は柵が張り巡らされまるで隔離されているかのようだ。周りには住宅が建ち並
んでいるのにこの中には建物など一切ない。多分買う業者もいないのでは?いや、そうじゃなく国の史
跡だからこのままの状態で保存しているのであろうか。しかし不気味な雰囲気だ)
(真中の小さい木の葉っぱの向う側に、右目だけ出した人の顔があり、こちら側を寂しそうに見ている
ように感じませんか~~?そして右側の網目状の白い筋は血のしたたり、地面の明るい、白いところ
は血だまりだ~。きゃああ~~出た~!)
(‘北条高時、腹切りやぐら’…脇道からここへ入って行って2,3枚だけ撮って、早々に出て
きました。善良で、純真な人間には憑依(ひょうい)しやすいと聞いていたので…
) (憑依…霊が乗り移ること)
(ここには何か写っていませんかね?)
- 2012/03/24(土) 08:00:00|
- 寺院・神社
-
-
妙本寺…
日蓮宗本山、比企一族の屋敷跡に1260年頃、建てられた。建仁3年(1203)、比企の乱で比企
一族が北条氏を中心とする大軍に攻められ滅ぼされた地です。鎌倉駅東口から鎌倉郵便局脇の
通りを入り小町大通りを右へ夷堂橋を左に折れると道の奥に総門が見える。日蓮宗の大きなお
寺は、「二門二堂」という形式もあるそうですが、妙本寺は
「総門」・「二天門」・
「方丈門」と
「祖師堂」・「本堂」の三門二堂です。秋の紅葉がすばらしいそうです。秋にはまた行って
みたい。鎌倉駅東口から徒歩10分位。所在地 : 鎌倉市大町1-15-1
(周囲の落ち着いた色合いに比して、朱色の山門だけが何となく浮き上がっている感じ…新しく塗り直
したからでしょう)、(
以前の姿)
(訂正:山門ではなく‘二天門’と言います)
(二天門にはご覧の通り龍の彫り物があり、ニ、三歩下がって手をたたくと龍が鳴くように聞こえると
いわれていますが後で知りました。今度行った時、試してみましょう)
(この際だから調べました。‘二天門とは?’…左右に一対の仁王の像を安置した寺院の門。または
多聞天と持国天の像を安置した門)
(ついでに、‘方丈’とは‘住持の修行生活の場となる建物’のことですから、方丈門はその建物へ
入る門ということでしょう)
(一山の本尊を安置する寺院の中心的な堂を指して「本堂」あるいは「金堂」ということが多い)
(屋根の上に見えるササリンドウ(笹竜胆)はリンドウの葉が笹に似ているからですが植物名
としてより家紋として有名です。笹竜胆は鎌倉幕府を樹立した源頼朝の家紋と言われており
『勧進帳』や『曽我の仇討』などの歌舞伎でも源氏を表現するものとして用いられています。
頼朝ゆかりの地ということもあって鎌倉市はこの「ササリンドウ」を市章にしています)
(本堂:屋根のカーブ、どっしりとした屋根の大きさ、すばらしいです!)
(訂正:本堂ではなく‘祖師堂’と言います。参拝客がお参りするところ)
(これが御本尊が安置されている本堂)
(2/末時点で梅はまだまだ、ちらほら→3/20今頃は満開でしょう)
次回:3/24 早春の鎌倉散策(2)…ぞお~怖い~!東勝寺跡、腹切りやぐら
- 2012/03/20(火) 08:00:00|
- 神社・寺院
-
-
(梅林全体/幕山/626m…梅が咲いている感じはしないでしょう?)
(幕山…約15万年前に富士山の噴火でできたもの)
(ロッククライミングの練習場)
(学生時代は山岳部でよくやりました…実は密かに再開しようかと考えているのですが、山のベテラン
の友人に相談したら一言‘やめとけ’。「何かあったら自分はともかく、よそ様に迷惑がかかるから」
とのこと。まあ、ごもっともな忠告。原点回帰の願望、少しへちゃりました。)
(曽野綾子さんの「老いの才覚」/ベスト新書、によると「冒険は老年の特権である」とあります。
‘もうこの歳になると責任を負うべき家族や子供もいない。したいことをして死ぬなら本望ではな
いか?’…なるほど!と感じ入った次第。しかし‘即お陀仏’ならいいが半身不随で寝たきりになる
のは困るなあ~)
(‘みずき’…こけしの材料だそうです。なかなか‘姿’のいい樹でした。)
次回:3/20早春の鎌倉散策(1)
- 2012/03/18(日) 08:00:00|
- 樹木
-
-
…とのこと。早い話、切ってみないとわからない。こんなのってありですかね?何だかおかしくない?
じゃあ~白い花をつけている梅はどう呼べばいいのだろう?同じく紅も~。
…従って、前回の質問の答えは→‘どちらとも言えない’敢えて云えば‘紅い花の梅’か?
次回:3/18湯河原梅林(3)
- 2012/03/16(金) 08:00:00|
- 樹木
-
-
今日は2月末に行った湯河原の梅林です。まだまだちらほら、拍子抜けの感じ。
咲いているものだけ狙って撮りました。
(梅には関係ないですが、月、火と名古屋で同期会。卒業以来半世紀振りの人もいて初見、
全くわからず。豹変ぶりに驚く。お互い‘じじい’になったもんだねえ~と大笑い)
(里山や
紅き頬染め 梅香る)
(皆さんに質問…これは‘紅梅’ですか?白梅ですか?…え~?馬鹿にするな?…答えは後日ね)
(2月末は全体的にはまだまだ、二分咲きといったところ。例年より3週間位、遅れ)
次回:湯河原梅林(2)…見た目、白梅
- 2012/03/14(水) 08:00:00|
- 樹木
-
-
4年に1回の2/29日、閏日は雪が…。子供たちは外でおおはしゃぎ。年寄りはこたつで丸くなる?しかし
滅多にお目にかかれない雪景色、これは行かずばなるまいと出かけました。お蔭で靴の中はびしょびしょ。
(上の写真の上にマウスのカーソルを乗せてみて下さい。ラフにスケッチしてみました)
(普段見慣れた景色でも、造形のコントラストが妙)
(写真の上にマウスのカーソルを乗せてみて下さい)
(毎日の雪かきはごめんだけどたまに降る雪っていいね)
(写真の上にマウスのカーソルを乗せてみて下さい)
(写真の上にマウスのカーソルを乗せてみて下さい)
(親子が雪だるま、こんな心温まる風景をじ~っと眺めてると…)
(川沿いに咲いていた梅:紅梅かどうかは色ではわからないそうです)
次回:3/14湯河原梅林
- 2012/03/09(金) 08:00:00|
- 風景
-
-
3/5から1週間、桂台さくらギャラリーでN洋子先生主催の仲間展が開かれています。数点紹介します。
(コーラス仲間、鳴島氏の作品、中々見事なものですね。何かあると書いて貰っています)
(字がきれいというのは得ですね。特に女性の字の場合、どんな素敵な人だろう、…と思いが巡ります)
(下の写真の上にマウスのカーソルを乗せてみて下さい。全部読むのはなかなか難しい~~)
(先生の作品。左は‘游心翰墨’(ゆうしんかんぼく)と書いてあります。‘游心’の意味は「俗世間から
離れ、何ものにも束縛されることなく、おのが欲するままに心静かに生活する」(広辞苑)ということ
。それと、‘翰墨’は‘筆で心を遊ばせる’という意味だと伺いました)
(簡単に云えば、‘筆三昧で心静か’…ということでしょうか?)
(右は若山牧水の‘酒のうた’。右より、春、夏、秋、冬)
(賛助出品)
(これは以前、小生病気退院後、麗光先生から頂いたもの。年輪を重ねた身体と心にはいろんな‘塵’が
溜まっている。それを払いなさい…ということでしょう)
‘塵’とは?:
①心に溜まったちり…人間関係のしがらみ、思い込み、とらわれ、恨み、怖れ、ねたみ
②身体に溜まったちり…メタボ、血管にこびりついたコレステロール?
③身辺に溜まったチリ…家庭内の不要品
…などであろうか?これらのことを追い払うには相当思い切ってやらねば…。特に①
は一番難しい。
次回:3/9いたち川の雪景色
- 2012/03/08(木) 08:00:00|
- 個展・展覧会
-
-
次のページ