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砂鉄行脚〔Ⅰ〕(上郷付近)

ここ2年半、地域史研究会の‘砂鉄部会’(メンバー5名)として上郷深田遺跡の製鉄跡に関連する研究を行っています。今日は
その原料となった砂鉄の調達場所を案内がてら部会メンバー以外の方々と歩きました。〔Ⅰ〕(上郷付近)、〔Ⅱ〕(いたち川源流)、
〔Ⅲ〕(天園)、〔Ⅳ〕(勝上嶽)、〔Ⅴ〕(建長寺)…と風景写真をいれながら掲載します。

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神奈中、八軒谷戸バス停からいたち川に下りる。このような錆びた色のところがところどころに見られます。これは鉄分を食べる
バクテリアの死骸でこのような色に変色しています。

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昇龍橋のすぐその上にかなり広い空地がありそこは元、白山神社のあったところ。崖に砂鉄の黒い層が見られます。

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横浜で一番古い石橋。昇龍橋。
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説明板に‘権現山’というのが見えます。この地は幕府の天領であったので権現様徳川家康が訪れたとか~。
しかしほんとかな?こんなところに天下の大将軍が果たして来るかなあ~。

思い出しました。以前訪ねたすぐ近くの中野町の長慶寺、確か徳川家康と関係があったような記憶が…。調べてみました。
「 慶長3年(1598年)頃、前門跡の教如は徳川家康と親交を持つようになり、この地で草庵を結んでいた普古も元側近として
拝顔したという。あるとき領内見聞に来た家康がこの草庵を訪れ、水を所望した。普古は家康とは気付かずに古茶碗で水を

出すと、家康も普古とは知らず、「うまい水だ。もう1杯くれ。余は家康である。」と名乗った。これが縁で家康は境内山林と本堂
再建の資金を寄進し、寺はこの地に立派に再建されたという。さらに家康は立派な茶碗を下附した。この地の山は「水(み)の
口山」とも呼ばれ、良い水が出るところとされる。3代将軍家光は寺領13石の朱印状を与え、家康ゆかりの寺として保護した。

しかし、明治13年(1880年)に火災に遇い、伽藍を焼失したが、この家康拝領の「長慶寺の茶碗」だけは現在も残っている。
本堂は平成18年(2006年)に改築された。今は無住のようだ。庫裡横から裏手には横井戸があるが、これが「水(み)の
口山」の水かも知れない。」(引用)

…従って‘権現山’の由来もここから来ているのかも知れません。

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(7/7 散歩がてら撮ってきました。お寺というイメージは薄いですね。井戸は探したけどわかりませんでした。鐘楼はいつも
 大晦日、風呂につかりながら聞く除夜の鐘、ここからです。若い時には深夜、並んで突きに行きましたが今はもうとても
 そんなフアイトは残っていません)




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(参考)以前に書いた水彩「昇龍橋」:6号
(最近、絵はすっかりご無沙汰ですが、水彩・アクリルで油絵風に仕上げたいと今構想を練っております。)

次回:7/6 〔Ⅱ〕(いたち川源流)
次々回:久しぶりの‘言いたい放題’(国の安全保障)
[ 2015/07/03 07:30 ] ウオーキング | TB(-) | CM(-)