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モーツアルトについて〔Ⅲ〕

死の前日義兄フランツ・ホーフアーや友人、妻コンスタンツエたちとレクイエムの「ラグリモーザ」
を演奏している絵が残っている。「レクイエム」はやはり本人自身のレクイエムになってしまった。
この「ラグリモーザ」はほんとに悲しみがよく表現されていて1番の出だしと共に一番好きな曲だ。

「レクイエム」第8曲 「ラクリモーサ/涙の日」…本人の作曲は、合唱部は6小節のみ、管弦楽部は2
小節のみ。残りは弟子のジェスマイアーが創る。死の前に、モーツアルトが補完をしてもらうための自
分の考えを説明したとの記録が残っている。

最後のひと時の寛ぎ/F.シャムスの原画から、リトグラフ。

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臨終について:
死の前、妻の妹ゾフイーに「明日は1日そばにいて欲しい」と頼んでいる。何故、妻ではなく妻の妹なのか?これも謎。
…臨終の時に傍にいたのは妻のコンスタンツエ、妹のゾフイー、医師のクロセットの3人であった。最期の時、ゾフイー
がモーツアルトの身体を抱きかかえるように看取った…ということがゾフイーの回想記に残っている。妻のコンスタンツ
エはどのような気持ちでそこにいたのであろうか?

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ベッド脇の子供は息子カールか?枕の側はコンスタンツエかゾフィーであろう。毛布の上にレクイエム
の楽譜が置かれていたとのこと。
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12月5日の午前1時に亡くなって、翌日早々と埋葬。これは少し異常。埋葬規定では伝染病など
急を要する場合は認められているが‘急性粟粒疹熱’は伝染病ではない。恐らく誰か(複数)が何
らかの理由で埋葬を急いだとしか考えられない。有名人の死が一般市民にも告知されなかった。
埋葬日は記録では7日になっているが、葬式当日は雨まじりの雪でしかも風が強かった。7日の
気象記録には該当しない。

*…粟粒熱(ぞくりゅうねつ)はイングランドと後にヨーロッパ各地を襲った、重篤な疾患。
1485年に登場し、1551年以降現れていない。急激に発症し、数時間のうちに死に
いたる場合もあった。現在でも原因は不明である。

出棺には数人の友人と3名の女性(妻はいない)が同行したが荒天のため途中で引き返す。墓地へ向かった
のは馬車だけ。そして貧民用の共同墓地(大きな穴が掘られ袋に入れて石灰と共に投げ込まれる)。
未だ正確な場所の特定はできない。大作曲家がこのような形で葬られる例はない。やはり死因がミステリー
なのである。


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(雪のサンクトマルクス墓地/ウイーン。左;入口 、右:この辺り?)

コンスタンツェはその後1809年デンマークの外交官ゲオルグ・ニコラウス・フォン・ニッセンと再婚。
1842年、80年の生涯を閉じた。


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右は夫、ニッセン(家族の記念写真だろうか?コンスタンツエの身体と顔のいち関係が
おかしい。後から付けたのか?)

それでは16日のコンサート、モツレクをお楽しみに!

7/13日記:最近体調すぐれず。今日は病院のはしご。三つ。頭痛、微熱がとれない。耳も痛かった。
       噛むと奥歯が痛い。耳鼻科、歯科、脳神経内科どれも特に問題なし。じゃあ何でだ?
       やはりストレス性緊張型頭痛か??暫くロキソニンの服用でしのぐしか無い。
[ 2018/07/12 20:28 ] その他 | TB(-) | CM(-)