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雑感

先日(3/28)、フジテレビで松本清張の「砂の器」を見た。何回か見ているが今回のは最後の今西刑事(東山紀之)
が語る30分が印象的だった。天才作曲家に上り詰めた暗い過去を背負った和賀英了が昔の汚点を知る人間を
殺し、次第に追い詰められるストーリー。最後のコンサートに渾身の作、「宿命」を指揮。相棒の刑事が「運命で
すかね」と言うと今西刑事がすかさず「運命と宿命は違う」…と。「運命・宿命」という言葉がちょっと気になった。

運命…‘運ぶ命(めい)’と書く=命を運ぶ。ここで云う‘命’はいのちではなく‘めい’=天から与えられるものの意。
    運ぶだから自分の意思や行動によって変えることができる。その結果が‘天から与えられたもの’である。
    例えば、どんな学校に入り、どんな仕事に着き、どんな出会いがあり、どんな人と結婚するのかなどは努
    力や行動・アクションで変わってくるもの。‘運を切り拓く’などと言うではないか。 一方、


宿命は…‘宿る命(めい)’と書く=生まれつき宿っているもので変えようがないもの。例えば、端的な例としては
    男として生まれた、長男として生まれた、日本人として生まれた、障害を持って生まれた、顔の美醜など
    は自分の意思や行動では変えることができない。

…だからどうなの?と言うことだが。物事上手くいかないから、困ったことになったからと言って安易に「運命だ
から仕方がないや」、「運が悪かった」…などと言うのは安易な逃げかも。自分の能力や努力、認識が足りなか
ったのかもしれない。運が悪かった…で済ませば気は楽にはなるが。まあそれがストレスを貯めないい方法かも。

一方「これは宿命みたいなものだからどうしようもない」…というのは確かにあるだろう。この主人公の場合、父親
のハンセン病のせいで村を追われ転々とした悲惨な子供時代を送る。これは確かに宿命と云える。自分の力では
どうにもできないものだ。


テレビでの話が硬い、難しい話になってしまってすみません。次回はまた‘昭和ノスタルジーⅡ’
へ戻ります。もう少しだけ、写真があるので。

[ 2019/04/04 07:30 ] その他 | TB(-) | CM(-)