京都御所

約1200年前、桓武天皇の時代、都を奈良の平城京から京都の長岡京へその後更に平安京に移され、
幾度かの火災を経て現在の里内裏(さとだいり/貴族の屋敷/土御門東洞院殿)の場所を皇居に定め
られました。東西250m、南北450m、築地塀(ついじべい)に囲まれた面積11万㎡の広大な敷地。
(参観は宮内庁へ申請/一般公開日以外)
100619京都御所
(築地塀…‘ついじべい’とは泥土をつき固めて作った塀。塀の上には簡便な小屋組を設け、瓦や板などで葺いた
 ものが多く古くより貴族の邸宅や寺院、官舎などに使われ現在でもここ京都御所や諸寺院などに見られます。)
100619京都御所
(建礼門…一番格式の高い門。天皇か外国の元首の来訪以外開かれることはありません)
100619京都御所
(朱色の承明門/じょうめいもん、越しの紫震殿…皇族の即位礼などの儀式を行う時にのみ使われる
 最も格式の高い建物で京都御所の象徴です)
(紫震殿の前の樹:向かって左は‘右近の橘’、右は‘左近の桜’)、(正面の階段は‘18階段’)
100619京都御所
(紫震殿の横にある宜陽殿/ぎようでん…天皇家累代の宝物、御物を保管する建物)
100619京都御所
(小御所と蹴鞠の庭。昭和29年の花火大会にて火の粉を浴び全焼。昭和33年に復元)
(皇太子元服の時などに使用される)(写真には半分位しか写っていませんが立札のあるところが蹴鞠の庭)

小御所(こごしょ)と言えば慶応3年12月9日朝、明治天皇によって‘王政復古の大号令’が発せられその日の夜、
‘三職会議(小御所会議)’(総裁:有栖川宮熾仁親王、議定:岩倉具視など公族公卿10名、参与:西郷隆盛、
大久保利通、山内容堂ら諸藩代表20名)が開かれ徳川慶喜の辞官、納地が決定された記念すべき建物です。
しかしこの決定が佐幕派に不満を与へ鳥羽伏見の戦いへとつながって行きます。

100619京都御所
(御池庭…小御所と御学問所の前にある白砂敷きの回遊式庭園)
(次回は彦根城)
[ 2010/07/12 08:00 ] 歴史建造物 | TB(-) | CM(-)