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大塚遺跡(1)

遺跡発掘に携わった学芸員の講演に行ってきました。ここは何回も行っていますが専門家の話を聞くのは
初めてです。暫くの間、古のノスタルジアに浸って下さい。
231333大塚遺跡
ここは1979年からの港北ニュータウンの造成で発見された大規模な遺跡です。早渕川流域に沿って形成
され標高50mに位置しています。農耕の痕跡、出土品の形、土器に残っている米粒の痕跡、住居跡の形、
地層などから約2000年前の‘弥生時代’の遺跡と判定されています。因みに何故、弥生時代という名前が

231333大塚遺跡
ついているかは農耕跡が最初に発見された東京本郷の弥生地区で発掘された遺跡から命名されました。
発掘の手法など詳細は割愛しますが1点だけ。皆さん、時々展示会などで‘縄文(式)土器’、‘弥生式
土器’などの名前を見ることがあると思います。縄文土器には‘縄目模様’がついているものが多いで

231333大塚遺跡
(たそがれの穀物倉庫…これは地面にあいた8ケの穴から穀物倉庫であろうと推定されました。
  また倉庫の形は静岡の登呂の遺跡のデータを参考に作られたようです)(手前は‘引きうす’)

すが縄文時代の土器だから必ず‘縄目’がついているとは限らないのです。また弥生式土器だから‘縄目
’はないとも限らないのです。縄目は要は‘装飾’ですから土器を作る人のセンスの問題でしょう。多分
流行みたいなもので縄文時代には多くの製作者に‘縄目’をつけることが取り入れられたものと思われま

す。土器の模様から時代を判定するのではなく、遺跡全体をいろいろな角度から分析して‘時代’を特定
し、そこから出土した土器はその時代の土器、即ち‘縄文土器’とか‘弥生土器’とかに特定される訳です。
余り長くなってもなんですからそろそろやめますが、最後に縄文か弥生かの決め手は‘農耕’が行われて

いたかどうかということです。農耕が定着したのは弥生時代からとされているからです。遺跡の見学は17
時までですので講演終了の前に急いで現地に行き再度、写真を撮ってきました。今日の写真の狙いは夕
日をバックに穀物倉庫をシルエット的に撮るのが目的です。

後日、以前UPした記事を掲載します。→この記事の右下にある‘遺跡’のところをクリックすると
出てきます。ご覧ください。

(2)へ続く…
[ 2012/03/28 08:00 ] 遺跡 | TB(-) | CM(-)