丹後山伝説を訪ねて〔Ⅱ〕

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「丹後山伝説」
源頼朝の寵愛を受けた愛妾、20歳ばかりの美しい娘丹後の局が妊娠し身重にになった。頼朝の夫人、政子はこの
娘を鎌倉から追い出してしまった。途方にくれたある日、上矢部まで来た時、日はとっぷりと暮れ民家に一宿を請
うたが相手にされず仕方なく近くの小屋を見つけ休むことにした。折あしくそこで急に産気ずき闇夜に困り果て

ていると、狐火がともりあたりが明るくなり男子を無事出産。誰も住んでいない筈の小屋から赤子の泣き声がす
るので近所の人が訪ねてみると昨夜の娘であった。聴いてみると頼朝の愛妾、丹後の局であるという。土地の
人々は驚き家を建てて女を住まわせ、頼朝に報告した。この時、家を建てたところがこの丹後山(神明社)で、男

子は成長して島津三郎となり九州の守護職になった。これが島津家初代当主、島津忠久である。また丹後の局は
比企一族の娘
である。(比企一族の墓は鎌倉、妙法寺にある)25代当主島津重久は権威付けのためにこのことを
引用し頼朝との縁を吹聴したという記録が残っている。何の権威もない田舎大名には権威・名誉が必要だったので
あろう。(幕末、生麦事件行列の主、薩摩藩国父、島津久光も島津三郎を名乗っていた)

島津三郎(忠久)が頼朝の落胤であるかどうかについては、島津家の文書では、そう記述されているようだが、
世の歴史家にあっては疑問視する向きが少なくない。果たして真実やいかに?

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左:篠塚八幡    右:冨士山古墳、6世紀頃の円墳。周りに柵が施され中には入れない。円筒埴輪、馬系埴輪、鳥型埴輪、人型埴輪などが多数出土。市歴博で展示。

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松尾神社/ 地元では田中神社と呼んでいる。何故かわからないが、多分、田んぼの中にあったからか? 江戸時代には大山詣での大山道に近いので大いに賑わったとか~。

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次回:5/15 第4回 矢沢男声合唱団発表会のお知らせ
[ 2014/05/12 17:34 ] 史跡 | TB(-) | CM(-)